美月は感心した。シンプルな発想だが、確かにそれなら無駄な衝突は避けられる。広野が得意気に続ける。

「昔は連絡手段なんてポケベルぐらいやったけど、携帯が普及した今ならこれくらいちょろい芸当じゃろ」

 美月の中学時代はポケベルが全盛だった。そういえば、私も公衆電話に陣取ってひたすらメッセージを打っていたっけ。あのころは渋谷センター街のほとんどの公衆電話のボタンがバカになったほどだった。その後PHSが流行り、それからメールのやりとりができるようになった。

「道具が便利になって、不良どもの縄張りのあり方も変わった。でも、こういうの、ケンカ相手に提案されるとムカつくじゃん。わしみたいな部外者の意見だから少しはあいつらも耳を貸す気になったっちゅうわけ」

 他人事のようにサル顔で言う。

 美月は少し考え込んだ。この街では夏休みにもなれば、たくさんの女子高生たちが朝まで平気で遊んでいる。いわゆるプチ家出だ。親たちは、携帯電話を持たせているのでいつでも連絡がとれると娘をほったらかしにしていた。私の親もそうだった。家には帰らないけど親と話す機会は逆に増えた、なんてクラスメイトとよく話していた。その一方で、クラスの何人かはヒッキー、ひきこもりになって、24時間365日、自宅にいるのに親とまったく口をきかなかったりする。家に帰らない子が親と毎日携帯で話し、家にいる子はメモのやりとりだけでいっさい親と会話をしない。

 マスコミや世間ではITがどうとかこうとか言っているが、その本質を理解している大人は少ない。それに気づける人と気づけない人がいて、後者が偉そうにしているのが今という時代の特徴に思える。

 その意味で言えば、広野はサル顔に似合わず、毛は3本多いようだった。つまり、私たちの「チーム」に入る条件を満たしている。でも認めるのはなんかシャクだ。

「何よ、自慢? サル知恵じゃん」

「ホント、ひでーな、美月ちゃん。もしかして毒舌キャラ?」

 また顔を赤くして抗議する。こちらが名乗ってもいないのに「美月」の名を口にした広野に対して何も言わず、渋谷のスクランブル交差点でタクシーを拾う。先に乗り込んだ美月が「駒場キャンパス」と運転手に告げると、広野がちょっと怪訝そうな顔をする。

 タクシーは東急本店から松涛の住宅街を抜け、東大の炊事門で停車した。

 東京大学駒場キャンパス。

「東大? 赤門は?」意外な場所に連れてこられ、さすがに戸惑っているようだ。

「あれは、本郷キャンパス。こっちよ」

 美月は裏門から平然と大学の敷地内に入っていく。

「ここにいるの、みんな東大生か、すごいのう」広野が妙な関心のしかたをする。

 しばらく歩き、古ぼけた建物の前に立つ。

〈立ち退き反対〉〈当局の横暴を許すな!〉という物々しい看板が、いたるところに立てかけてある。

「ここは?」と広野。

「寮よ、学生寮」

〈北寮〉と記された建物に入る。

「勝手に入ってええんか、女人禁制と違うんか?」

「イヤなら帰れば」

「わかったわい」渋々といった感じでついてくる。

 生活臭を漂わす階段を上ると、〈23B〉というプレートのかかった部屋の前で止まる。ノックをしてドアを開けた。

「とりあえず、連れてきたわよ」

 3人の男と、1人のまだあどけない女の子が、一斉に美月たちを見る。

 室内は20畳ほどの広さで、4つのスチール製机の上にはデスクトップ型のパソコンが置かれている。隅には配線ケーブルが絡み合うように差し込まれた機材が何台も設置されていた。

 学生の寮部屋というより、ちょっとしたオフィスの趣だ。

「ふーむ」広野はなにやら納得している様子だ。

「ここが私たちの『アジト』よ。彼らと、そのかわいい女の子がメンバー」

「ま、美月ちゃんにこうして連れてこられたのも何かの縁。よろしゅう頼んます」鷹揚な口ぶりとは裏腹に体をもじもじさせている。

 東大の学生寮。

 広野にすれば、これほど場違いな空間もないはずだ。


(つづく)